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Ruins of Diriyah

サウジ豆知識 サウジ歴史 第一次サウード王国(1744-1818)

18世紀初頭、 アラビア半島はヒジャーズ、ナジュド、ティハーマなど複数地域から形成されていた。ティハーマの一部とヒジャーズ(アラビア半島の西部)はアシュラーフ部族、そしてオットマン帝国によって行政された。ナジュド(アラビア半島の中央部)や南部は複数の部族によって行政され、東部はジャブリー部族そしてオットマン帝国によって行政された。

その頃、シェーク(شيخ)ムハンマド・ビン・アブドゥル・ワッハーブという名のイスラム教徒の学者で宗教改革者が、イスラム教の原型復旧を提唱し始めた。アブドゥル・ワッハーブは当初、彼の教えを自分たちの権力の基盤の脅威とみなした地元の宗教学者や指導者たちによる迫害を受けた。彼はムハンマド・ビン・サウードが統制していたディルイーヤ(درعية)の町(ナジュドの一部)へ保護を求めた。

ムハンマド・ビン・アブドゥル・ワッハーブとムハンマド・ビン・サウードはイスラム教の純粋な教えを、イスラム教徒のコミュニティに復活させることに専念しようと盟約を結んだ。その精神においてビン・サウードは、第一次サウード王国を建国し、ビン・アブドゥル・ワッハーブの精神的指導の下に繁栄した。よくよく彼は単にシェークと呼ばれるようになる。


1788年には、サウード王国はナジュドと知られる中央の高原全体を統制した。19世紀初めまで、その支配はメッカとマディーナを含むほとんどのアラビア半島に及んだ。

アル・サウード政権の人気と成功は、当時中東と北アフリカで優勢な権力であったオットマン帝国に不信感を抱かせた。1818年オットマン帝国は、最新砲兵を備えた大規模な遠征軍をアラビアの西部地域に派遣した。オットマン帝国軍はディルイーヤを包囲した。ディルイーヤは今や半島最大の都市のひとつに成長していたのだ。オットマン帝国軍は野砲隊で街を倒壊させ、井戸を台無しにし、ナツメヤシを根こそぎ破壊することで永遠に住めないようにした。

出典 サウジアラビア大使館(米国)

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sauji.jp 運営スタッフ
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