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サウジ豆知識 5代目国王 ファハド国王(1982-2005) | サウジ.jp
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King Fahad ファハド国王

サウジ豆知識 5代目国王 ファハド国王(1982-2005)

2つの聖なるモスクの守護者の称号を公認したファハド・ビン・アブドゥルアジィーズ王の下で、サウジアラビアは驚異的な社会経済的発展を続け、政治上、そして経済上の主要勢力として浮上した。ファハド王はサウジアラビアの経済を多様化させ、民間企業と投資を促進するにあたり、中心となって尽力をつくした。ファハド王はサウジ政府を再編し、初の全国市会議員選挙を承認し、これが2005年に行われた。


メッカとメディナのモスクの拡大で、よりもっとムスリムの巡礼者が訪れるようになった


サウジアラビアにおけるファハド王の最大の成果として、年々国を訪れる何百万人もの巡礼者を受け入れるために王国の施設を拡張する一連のプロジェクトがあげられる。このプロジェクトにより、イスラムの二聖モスク、メッカの聖モスクと、メディナの預言者のモスクのみならず、空港、港が大幅に拡張された。

国際的な場において、ファハド王は、各地域および世界的危機を解決するために積極的に働いた。これらの危機には、アラブ・パレスチナ紛争、イラクのクウェート侵攻、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、チェチェン、アフガニスタン、ソマリア、カシミールの紛争に加えてレバノン内戦も含まれる。1981年には皇太子として、アラブとイスラエルの紛争を解決し、パレスチナ人に独立国家を与えるために8項目の計画を提案した。この計画は、アラブ諸国とイスラエル双方のニーズを考慮した、公正かつ永続的な解決策を見出そうとする最初の試みの一つと捉えられた。

1982年のモロッコのフェズでの首脳会議で、これをアラブ連盟が満場一致で採択した。ファハド王はまた、レバノンで内戦を解決するために何年もの間、外交に献身した。王は1989年にサウジアラビアのターイフでレバノン国会議員会議を開催した。会議は国民和解憲章が締結される結果となり、ターイフで署名され、これにより紛争を終結し、サウジアラビアおよび他のアラブ諸国からの援助で復興の道が開かれた。


数々の国際的な場においての貢献や緊急の人道援助を提供した



おそらくファハド王政権の最大の国際的危機は、1990年8月2日にイラクがクウェートを侵略した時であっただろう。王は、クウェートからイラク軍を追放した国際連合をまとめる上で重要な役割を果たした。ファハド王はまた、人道問題にも従事していた。ファハド王政権の下、サウジアラビアは、ソマリア、ボスニア、アフガニスタンなどの数々の国々、同様に地震 (1999年のトルコ、2003年のイラン) や2004年12月東南アジアを襲った津波などの自然災害を被った国々に、緊急の人道援助を提供した。


出典 サウジアラビア大使館(米国)

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sauji.jp 運営スタッフ
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