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"まさかこんな山奥で”宿屋のサウジ人日記 1 | サウジ.jp
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清水館 宿屋

“まさかこんな山奥で”宿屋のサウジ人日記 1

ホールや廊下に漂う香水の残り香は、たった今去って行った10人のサウジ人達をいつまでも思い出させてくれる。彼らは老いも若きも、男女拘わらず香水を浴びるようにまとう。


10年間で300人以上の学生を受け入れる



2005年に開催された愛・地球博以来、サウジアラビア王国との交流事業を続ける豊根村で、私は宿泊部門を担当し10年間で300人以上の学生を受け入れた。初めて迎え入れたサウジ人は本国からやって来た50名の中高生と教師だった。12年前の私には、イスラムに関する知識など有るはずも無く、初めて聞くハラールという言葉の前に立ち尽くした。そして始まったハラール研究は困難であったし、中東の歴史やイスラムについての文献の少なさにも泣かされた。


今では市場へ行けば、ハラール認証のついた食品はたやすく入手できるようになった。我が家を訪れるサウジ人と一緒に、キッチンに立つこともある。食事については、日本人であれば行く先々で初めて出会う味を求め、そこに旅行の喜びの多くを見出す。ところがムスリムは、どこに行こうが口にするものがハラールであることを先ず確認する。その事を念頭に料理を作り、そして提供したが、よくぞ作ったと云う思いなど微塵も無く、よくぞ食べて下さったショクラン!である。


ホールでアラビックコーヒーを淹れ、日本人客にも振る舞った


アブドラ国王留学生制度でやって来た留学生を夏と冬、様々なアクティビティ―で豊根村に招くプログラムが始まり、来日間もない学生たちがやって来た。たった数か月の日本生活であるにもかかわらず、彼らの日本語能力は高くコミュニケーションには何の支障も無かった。第一期生と呼ばれる彼らの持ち物の中には、やかんとカセットコンロがあった。彼らはホールでアラビックコーヒーを淹れ、日本人客にも振る舞った。私も頂いたが、初めてのアラビックコーヒーはそれはそれは美味しく、小さなカップでは物足りない。大きなグラスに氷を入れ、なみなみと注いで欲しい、と言うと彼らは凍りついた。なんてことを言うのだ!これは、熱々を少しづつ飲んでこそおいしいのだと。残念である。彼らの耳にあてがわれたイヤホンからはアラビア音楽が漏れ出していた。以降、毎年やって来る学生たちの服装、髪型、持ち物などはどんどん変化していった。それらを観察することも興味深いものだった。やかんを持参する学生も現れなくなった。


夕食の後、学生達とホールで過ごす時間は格別である。お茶を飲みながら、互いを知ろうと質問が次々と出る。日本語学校在学中の彼らの多くは学校と寮の往復で、教師以外の日本人と話しをするのは初めてだと言う学生もいた。これには驚き、どうぞ豊根村滞在中はできるだけ会話をしましょう、互いを知りあいましょうと務めた。


食事面で気をつけても、ハラールでも日本食を受け付けず


外国人との交流はそれぞれの文化習慣の違いが大きければ大きいほど面白い!醍醐味たっぷりの会話は弾み、いつも深夜まで続いた。こうして楽しむ一方、細かい問題はちょくちょく起きた。食事面については細心の注意を払い対応したが、たとえハラールでも日本食を受け付けず、別メニューの用意も必要だった。また私の作るアラビア料理はいつも絶賛された。

しかし彼らは本当においしいと感じていただろうか。なぜなら、彼らは何でも褒め決して否定も批判もしない。残念ながら、入浴については同宿の日本人たちから悲鳴が上がった。他者と同時に入浴する習慣の無い彼らは一人づつ浴室に鍵をかけ籠城し、騒ぎが起きた。ところが数年後には温泉OKの猛者も現れ、温泉女子すら現れたのだ。私の方が戸惑う程だ。

このように、学生たちの意識の変化を間近で見続けた立場として、彼等とのエピソードなどを伝えたい。また私は2015年2月女性個人でサウジを旅行した。サウジビザは世界一取得困難なビザとして知られているが、今までかかわった多くのサウジ人の協力を得て実現した。12日間の旅はホームステイで過ごし、2度の結婚式にも出席することができた。これは私の人生最大のイベントであった。10年間膨らんだ夢が現実となったのだ。


この場を借りて少しでも多くの方に私とサウジ学生との交流経験を伝えたい。どうかお楽しみに。

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石田 三千枝
石田 三千枝

清水館、女将。1957年、愛知県刈谷市生まれ。愛知大学卒業後 トヨタ車体(株)勤務施設動力部施設技術課にて省エネ担当。豊根村清水館4代目に嫁ぎ女将となる。2005年愛知場万博でのフレンドシップ国事業にて交流の始まった豊根村サウジアラビア王国交流委員会にて宿泊部門を担当。10年間で300名以上のサウジ人留学生を受け入れる。2015年には女性個人で2週間サウジ旅行を体験した。